北陸の旧態依然な地方政治を皮肉に観察
「裸のムラ」
古い友人にメールしたら返信の末尾に「コロナで人生観が一変しました」と一言。いまや決まり文句とはいえ、旧友の横顔を思うと、こめられた感慨の重さが伝わってくるようだった。
それに似た感触を覚えるのが先週末から公開中のドキュメンタリー「裸のムラ」だ。
舞台は北陸の石川県。今春、同じ自民党出身の3候補が県知事選で争い、元プロレスラーで元文科相の馳浩が薄氷の勝利を得て話題になった。
映画はこの選挙に焦点を当てるが、同党内の骨肉の争いといった月並みの政治ネタには見向きもしない。発端は地元出身でもないのに7期28年という長期政権の座にあった前知事の下での“忖度政治”の取材。「新時代」を掲げる馳が知事になっても、県庁も知事番記者たちの空気も旧態依然という現状への皮肉な観察が主筋になっている。
監督は2年前、隣県・富山のローカル局で市議会の不正を暴いたのに、かえって市政が劣化した事態を“笑えない喜劇”に描いた五百旗頭幸男記者。返す刀で自局批判にまでおよんだことで辞職し、いまは石川テレビに移籍。そこで製作したのが本作だ。
今回は政治ドキュメンタリーの定型化への違和感が繰り返し表現されるのが印象的。主筋とは無関係の地元のムスリム一家や、改造ライトバンの車中で寝起きするITベンチャー一家の「バンライフ」の取材がオフビート感をかもしだす。コロナ禍でますます同質化したニッポン社会への、静かだが異色の異議申し立てがなされるのである。
北陸はかつて「裏日本」と呼ばれた。今は差別語として禁句だが、石塚正英ほか著「『裏日本』文化ルネッサンス」(社会評論社 2860円)は、明治以前、日本海こそが地中海並みの対外交流の大舞台だったことを学術的に振り返る異色の歴史研究。「裏」には異色が似合うのか。 <生井英考>