松本俊明(作曲家、ピアニスト)
5月×日 齋藤陽道著「よっちぼっち 家族四人の四つの人生」(暮しの手帖社 2200円)を読む。
「よっちぼっち」とは、著者の造語である。ろう者である自身と妻、耳の聞こえる聴者である子ども2人からなる、4人家族の姿を表した言葉だ。
「お互いに、孤独を抱えて歩む『ひとりぼっち』であることをわきまえながら、そこを越えてかかわりあおうとする意志を保たなくてはならない」と著者は語る。異なる身体を持つ個々の人間同士が、互いを尊重しつつ寄り添って生きる様子が目に浮かぶ。
本書は、写真家である著者が撮影した美しい写真を交えて、よっちぼっちの日常が語られていく。幼い子どもたちが徐々に獲得していく日本手話と、夫婦には聞くことのできない音声としての日本語が、彼らの言葉だ。
障害者として扱われ、聴者から守られる対象であった著者は、2人の子どもたちの出会いを通して、彼らの言葉でしか表し得ない、揺るぎのない幸福を知っていく。
日本手話は、日本語と異なる独自の語法を持つ言葉だ。驚くべきは、それが自然の質感や感情の手触りなど、人間を取り巻く有形無形のあらゆるものを、見事に表現していることである。その日本手話と、表情、口元の動き、身振りを駆使して彼らは会話を交わす。
その会話のなんと豊かなことか。言葉とは単に記号ではなく、世界を照らす光であり、その光が照らす道の上に人間の営みがあることを、読者は改めて感じ入るだろう。
筆者がろうの身体でこそ感じられたという幸福。それは、どことなく現代に生きる私たちが見失いかけているものであるように思う。スマホの中でしかうまく自分の言葉を繰り出せない人、マスクで顔を隠して安心する人、個と個の間にある隔たりをあえて乗り越えない人。そんな時代の価値観の中で、豊かで美しい言葉を介し、互いを見つめ合うよっちぼっちの家族は、原始的であるようで先進的だ。私たちの根源的な幸福はどこにあるのか、そんなことを考える1冊である。