上田秀人(作家)
3月×日 畏友N氏のお誘いを受けて、京都上七軒春の踊りを見に行った。客席のほぼ半分が外国の方々で、同時通訳がないにもかかわらず舞台に夢中になっていた。芸事というのは、言語文化を超越するのだなと認識をあらたにした。
しかし、その後上七軒の関係者の方から、芸妓さん、舞妓さん合わせて20数人しかおらず、伝統芸能の継承が危ういと聞かされて愕然とした。いろいろな見方もあるだろうが、一度絶えた伝統の復活は難しい。真剣に向き合わねばなるまい。
3月×日 伝統芸能の途絶を憂いているどころではない。とある大臣の話によると書店の数の減少が加速しているらしい。日本の世界に誇る出版文化の維持が困難になってしまうと、ようやく政府が重い腰をあげて対処に向けて動き出したと教えてもらった。
本が売れなければ生活できないのが作家である。そういえば、昔近所の住人から、伝統芸能をされているお方ですよねと言われたことを思いだした。時代小説も滅びゆく運命にあるのかも知れない。ただそれを防ぐにはどうすればいいかは自明の理、他のコンテンツに負けないおもしろい話を書けばいいのだ。まさに精進すべきだと思いを強くした。
そんなときに、先輩作家今野敏氏の歴史小説「天を測る」(講談社 869円)を読んだ。幕末を舞台にした作品だが、もともと数学者で数値にこだわる小野友五郎という幕府方を主人公にした物語で、咸臨丸で渡米するところから始まり、幕府の勘定方へと出世して終わる。絶えず数字が絡み物語に味を加えているだけでなく、経済から見た明治維新の話ともなっている。
偏狭ともとれる小野友五郎の人物像がおもしろく読み応え十分だが、ただ、一点、大いに思うところがあった。勝海舟の扱いが悪すぎる。勝海舟好きの私としては、そこだけが納得できない(笑)。
警察小説の第一人者が、歴史小説に挑まれた意欲作。歴史時代小説を生業としている筆者には強力なライバルの出現……じつに迷惑な話である。