高校の同級生の三浦友和 清志郎にRC再結成を持ちかける
「RCの活動休止ごろから、リンコさんは二胡(中国楽器)を始めた。テレビで生演奏を聴いて、メロディー、音色に圧倒され、『たそがれるにはこれを奏でるしかない』と、思ったそうです。それ以来、長年続けていて今では人に教えているそうです」
リンコが無理だろうな、と言った清志郎の危惧は当たった。
「活動休止からすでに15年。もうベースは弾いていないし、その時は断ったんですって」
その出来事のすぐ後、06年夏、清志郎に喉頭がんが発覚する。
「実際、リンコさんは十数本持っていたベースも売ってしまっていた。でも、三浦さんの自宅でのミーティングの後で、1本だけ残っていたバイオリンベースを屋根裏から出してきて、使えるのを確認して、手の届くところに出しておいたそうです。物言わぬベースと会話しているリンコさんが目に浮かぶようです」