西部警察世代がとっておき「裕次郎映画」ベスト5を語る<1>
「狂った果実」(1956年7月公開)中平康監督
7月17日は石原裕次郎の命日。今年は33回忌にあたる。それを記念して、この大スターの生涯と全出演作品を解説した評伝「石原裕次郎 昭和太陽伝」(アルファベータブックス)が刊行される。同書の著者である佐藤利明氏と、作家で同書を編集した中川右介氏の2人は、ともに1960年代生まれで、裕次郎の日活時代はリアルタイムでは知らない。「太陽にほえろ!」で裕次郎と出会い、「西部警察」に興奮した世代である。両氏が裕次郎映画ベスト5を選び、語った。
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中川 石原裕次郎のデビュー作は「太陽の季節」ですが、そこでは端役だった裕次郎は、2カ月後の「狂った果実」で早くも主演しました。この映画は「初主演作」という歴史的価値からも必見なのですが、改めて見ましたが、少しも古くないですね。
佐藤 裕次郎さんが銀幕に登場したのは、経済白書に「もはや戦後ではない」と記された昭和31年です。長身痩躯のスタイル、その飾らない笑顔。慶大生だった石原裕次郎は、「太陽の季節」でセンセーショナルに文壇に登場した「石原慎太郎の弟」という肩書で、マスコミの注目を集めます。その裕次郎を新しい時代のスターにしようと、日活はカメラテストがわりに「太陽の季節」に端役として出演させました。スクリーン映えするその容姿に、スチールマンの井本俊康は「主役が変わっちゃう」と言い、カメラマンの伊佐山三郎はファインダーの向こうに「阪妻(戦前からのスター阪東妻三郎)がいる」と言ったという伝説があります。
そこで、日本映画初の女性プロデューサー・水の江滝子さんは「太陽の季節」公開前に、裕次郎さんの主演作を企画します。ところが裕次郎さんは、映画にあまり興味がない。そこである条件を出したのです。
■北原三枝を相手役に指名
中川 裕次郎が出した出演条件が「相手役を北原三枝」にでした。「狂った果実」で2人は出会い、やがて結婚するという、映画みたいな物語が始まります。裕次郎の弟役は、これが実質的なデビュー作となる津川雅彦。兄弟の友人が岡田真澄。みな若く、美しい。
佐藤 裕次郎さんは高校生のときに、松竹映画「東京マダムと大阪夫人」と「君の名は 第二部」に出演していた北原三枝さんの大ファンになり、「こんな女性と結婚したい」と友人たちに言っていたほどです。1956年、北原さんは日活に移籍して2年目、トップスターとして活躍していました。
なので「北原三枝さんと共演するなら」というのは、裕次郎さんの素直な気持ちだったのです。
「狂った果実」は、「美貌の人妻をめぐって兄弟が争う」というセンセーショナルな内容です。太陽族と呼ばれる若者たちの無軌道な行動。湘南で遊ぶブルジョア若者のアンモラルな生態は、それまでの日本映画では描かれることのなかった生々しいものでした。この斬新な素材を、わずか1カ月で撮影から完成まで仕上げたのは、中平康をはじめとする、助監督の蔵原惟繕たちスタッフの若いエネルギーあればこそ。いま見ても、当時、いかに斬新だったかがよく分かります。
中川 斬新過ぎて、各地で条例による未成年者の観覧禁止や、婦人団体による上映反対運動や、この映画を見ただけで女学生が退学を勧告されたとかいう伝説があります。いったい、何がいけなかったんでしょうね。キスシーンはありますが、一緒に寝ていても服を着ている。不倫なのがまずかったのか。
■湘南サウンドのルーツ
佐藤 当時のモラルがよく分かりますね。裕次郎さんは、この映画の主題歌も歌い、歌手してもデビューします。いわゆる「湘南サウンド」はこの映画から誕生しました。加山雄三、荒井由実、サザンオールスターズへと連なる湘南サウンドの系譜は、この曲がルーツといえるんです。
中川 「狂った果実」は、たしかにストーリーは当時としては衝撃的だったかもしれませんが、今ではそうでもない。ところが、映像はいま見ても斬新ですね。
佐藤 フランスでも「パッション・ジュヴナイル」の題名で公開され、フランソワ・トリュフォーが高く評価しました。ヌーベルバーグの作家へも大きな影響を与えたんです。
中川 半世紀以上前の映画なので、よく知らないと、「狂った果実」がヌーベルバーグの真似をしたと思うかもしれない。カメラのアングル、編集、音楽の入れ方、何もかも斬新です。
佐藤 ヌーベルバーグに対抗して「新古典主義」を標榜したルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」(1960年)は明らかにこの作品の影響を受けています。それまでの映画スターにはなかった裕次郎さんの身近な存在感は、映画界に新しい息吹をもたらし、空前の映画ブームもあって、「石原裕次郎」はたちまち日活映画の顔になっていきますが、同時に、若い映画作家たちも、裕次郎映画によって登場していくんです。
中川 裕次郎映画は封切れば大ヒットが約束されていたので、逆に冒険ができたんですね。
佐藤 そうなんです。当時、低迷を続けていて、給料も遅配がちだった日活にとって、裕次郎さんの登場は救世主でした。しかし「太陽族映画」は社会現象を巻き起こし、バッシングを受けてしまいます。そこでベテランの田坂具隆監督は、石坂洋次郎原作「乳母車」(56年)で、裕次郎さんの地である「伸びやかな戦後派若者」のイメージを引き出して、もう一つの魅力を引き出します。さらに、井上梅次監督「勝利者」(57年)や「鷲と鷹」(同)、蔵原惟繕監督「俺は待ってるぜ」(同)から、日活アクションの時代が始まります。「反抗する若者像」から、青春映画、アクション映画のヒーローとなった裕次郎さんは、日本映画黄金時代を牽引していくことになります。
中川 その全ての原点が「狂った果実」にあります。石原裕次郎を知る上でも、戦後日本映画を知る上でも、北原三枝の魅力を知る上でも、重要な作品ですね。
(つづく)
▽佐藤 利明(さとう・としあき)
1963年生まれ。構成作家・ラジオパーソナリティー。娯楽映画研究家。2015年文化放送特別賞受賞。著書に「クレイジー音楽大全 クレイジーキャッツ・サウンド・クロニクル」(シンコーミュージック)、「植木等ショー!クレージーTV大全」(洋泉社)、「寅さんのことば 風の吹くまま 気の向くまま」(中日新聞社)など。
▽中川右介(なかがわ・ゆうすけ)
1960年生まれ、早大第二文学部卒業。出版社「アルファベータ」代表取締役編集長を経て、歴史に新しい光をあてる独自の執筆スタイルでクラシック音楽、歌舞伎、映画など幅広い分野で執筆活動を行っている。近著は「手塚治虫とトキワ荘」(集英社)、「1968年」(朝日新書)など。