川中美幸さんは20歳前に挫折…「船頭小唄」が再起の契機に
もしこの曲で優勝していなかったら、川中美幸としての再デビューはありませんでした。今も「船頭小唄」を聴くと挫折して大阪に戻り、この歌で助けられた自分がいると思います。
■母のすすり泣く声で手ごたえが
そして、今と同じテイチクで再デビューしたのが77年、21歳の時。10代の甘さはもうありませんでした。母には「25歳までは頑張る」と言って再び上京。そして「この歌が最後で帰る」と言って出したのが24歳の時の「ふたり酒」です。再デビュー4枚目のシングルでした。
作詞・作曲は、たかたかし先生と弦哲也先生。最初は出だしの「生きてゆくのが つらい日は」というのがピンとこなくて乗れなかったんですね。母に電話して「この歌、売れそうにないから帰る」と言ったら、聴かせてくれというので、電話口で聴かせたら、泣くんです。それで「これは私の等身大の歌じゃなくて、私の両親のことなんだ。苦労して育ててくれた両親の代弁者として歌えばいい」と気がつきました。手ごたえをつかんだのはすすり泣く母の声でした。