川中美幸さんは20歳前に挫折…「船頭小唄」が再起の契機に
母は苦労しましたからね。両親は米子で生まれた、元大衆演劇俳優でした。一家で大阪に移って父が事故で体が不自由になってからは、母が朝から晩まで給食センターで働き、兄と私の4人の一家を支えてくれた。87年に東京に両親を呼び寄せたけど、店を持つのが夢だった母は3年前に亡くなるまで、渋谷でずっとお好み焼きの店をやっていました。
生前、森繁先生とは何度もご一緒しました。私の15周年、結婚した年の舞台に先生の舞台のスタッフの方がたくさんいらして、「川中は歌手だけど、舞台をやる姿勢もすごい」と言ってくださったようで、先生から「うちの舞台で一度、勉強しないか」とお誘いいただき、帝劇の「赤ひげ診療譚」の舞台に出させていただきました。その時に先生の「船頭小唄」を歌ったことで私の今があるとお話ししました。先生はすごく喜んで手を握ってくださって。
81年に「ふたり酒」で紅白初出場(通算24回出場)。98年「二輪草」がミリオンセラーを記録した。歌手人生で大きな影響を受けたのは美空ひばりだ。母親が大好きで、小学校3年の時に梅田コマ劇場にひばりの公演に連れていってくれた。