著者のコラム一覧
増位山太志郎元大相撲力士

1948年11月、東京生まれ。日大一中から一高。初土俵は67年1月場所、最高位は大関。引退は81年3月場所。引退後は日本相撲協会で審判部副部長を務めた。74年「そんな夕子にほれました」、77年「そんな女のひとりごと」などがヒット。画家として二科展入選の常連。「ちゃんこ増位山」(墨田区千歳)を経営。

<8>親子2代の大関 スポーツ記者も芸能記者も集まってすごい数に…

公開日: 更新日:

 今回は私の大関時代のことや先代増位山のことをお話しします。

 私の同期は(同じ三保ケ関部屋の)北の湖さんで1967年1月場所で一緒に初土俵を踏みました。北の湖さんが横綱になったのは74年の9月場所。私はその時は小結で、大関になるのは6年後、80年の3月場所です。大関を決める1月場所では横綱輪島と初日に当たって、長い相撲の末に外掛けで勝つことができた。この場所は12勝3敗の成績で5回目の技能賞も獲得して大関に昇進することができました。

 旭國さんが前年の9月場所で引退して、ご本人から「大関が一つあいたぞ」と言われて奮起したのが大きかったと思います。大関がかかった1月場所は先代増位山の親父の方が緊張していましたね。その後、貴ノ花部屋が親子で大関、横綱になったけど、その頃は親子2代大関というのはなかった時代です。

 私は所帯を持って子供がいて、親父と同じ家の同じ階に住んでいて、洗面所で親父と顔を合わすわけです。すると親父は私を避けているような感じで。大関がかかっているから気を使ってたんだね。そんな姿を見たら、こっちが余計に気にしちゃったけど。大関が決まった時のマスコミの取り上げ方もすごかった。親子2代というのでスポーツ記者だけじゃなく、芸能記者も集まって、ものすごい人の数になった。よく部屋の力士が騎馬戦の格好で昇進した力士を乗っけてる姿を撮るでしょ。その若い衆の先頭、真ん中にいたのが十両になる前の北天佑(元大関=写真手前右)でした。

■関連キーワード

最新の芸能記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    元グラドルだけじゃない!国民民主党・玉木雄一郎代表の政治生命を握る「もう一人の女」

  2. 2

    深田恭子「浮気破局」の深層…自らマリー・アントワネット生まれ変わり説も唱える“お姫様”気質

  3. 3

    火野正平さんが別れても不倫相手に恨まれなかったワケ 口説かれた女優が筆者に語った“納得の言動”

  4. 4

    粗製乱造のドラマ界は要リストラ!「坂の上の雲」「カムカムエヴリバディ」再放送を見て痛感

  5. 5

    東原亜希は「離婚しません」と堂々発言…佐々木希、仲間由紀恵ら“サレ妻”が不倫夫を捨てなかったワケ

  1. 6

    綾瀬はるか"深田恭子の悲劇"の二の舞か? 高畑充希&岡田将生の電撃婚で"ジェシーとの恋"は…

  2. 7

    渡辺徹さんの死は美談ばかりではなかった…妻・郁恵さんを苦しめた「不倫と牛飲馬食」

  3. 8

    “令和の米騒動”は収束も…専門家が断言「コメを安く買える時代」が終わったワケ

  4. 9

    長澤まさみ&綾瀬はるか"共演NG説"を根底から覆す三谷幸喜監督の証言 2人をつないだ「ハンバーガー」

  5. 10

    東原亜希は"再構築"アピールも…井上康生の冴えぬ顔に心配される「夫婦関係」