【爆笑対談】山田邦子×ビビンバ荻野「オレたちひょうきん族」とその時代
この春、50歳以上を対象に早期退職者募集を行い、名プロデューサーらが退職して話題となったフジテレビ。「楽しくなければテレビじゃない」のキャッチコピーを掲げ、視聴率3冠王をほしいままにしていた時代を思えば寂しいかぎりだ。そのフジテレビが“我が世の春”を謳歌していた1980年代。「オレたちひょうきん族」などで活躍していた山田邦子さん(61)と、「ひょうきん族」ディレクターや「笑っていいとも!」プロデューサーなどを務めた“ビビンバ荻野”こと荻野繁さん(73)が久々の対面! 「ひょうきん族」の秘話や今のフジテレビに思うところを存分に語り合った。
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荻野 邦ちゃんお久しぶり。今思えば80年代は自由で楽しい時代だったよね。「ひょうきん族」は、最初はプロ野球中継が雨で流れたときに放送する雨予備の特別番組だったんです。
邦子 裏番組が大人気の「8時だョ!全員集合」(TBS系)でしたからね。
荻野 ところが、7回目に視聴率10%以上とったんでレギュラーに。それまで、何やっても当たらない不毛の時間帯だったのに。
邦子 私は(明石家)さんまちゃんと「ひょうきんニュース」をやらせていただきました。ポッと出だった私がいきなり。ありえないですよね。
荻野 女性では唯一のレギュラーで一番若かった。
邦子 日、月、火で、放送作家の先生たちが企画会議やって台本書いて。私も(ビート)たけしさんもさんまちゃんも、ずいぶんネタを出してました。ホタテマンのキャラクターとか「ひょうきん絵かき歌」のコーナーとか。
荻野 「ひょうきんベストテン」は当時、人気だったTBSの歌番組「ザ・ベストテン」のパロディーなんです。
邦子 毎週、収録後に荻野さんから「次はこれ」って、ユーミン(松任谷由実)や中森明菜さん、島倉千代子さん、水前寺清子さんらが歌ってるビデオや歌詞を渡されるので、次の週までに必死で覚えてましたよ。
荻野 歌に興味がないメンバーが多い中、邦ちゃんはちゃんと覚えてきたよね。
邦子 実はそんなに似てなかったんですけど(笑)。
荻野 歌はね。でも、表現と動きで似てるように見えて笑えてくるんですよ。歌われた本人も喜んで「ひょうきん族」に出て歌ってくれました。
邦子 「氷雨」の佳山明生さんは、スタジオに造ったセットの川に舞妓姿の私と一緒に落っこっちゃった。私がポックリを履いてた足で踏んづけちゃったから、佳山さんは足の指を骨折して、その後の大切なキャンペーンをずいぶん台無しにしちゃったらしいんです。10年後ぐらいに聞いて謝りました(苦笑)。
荻野 吉幾三さんは「雪国」を歌ってくれたんだけど、スタジオ中、発泡スチロールで作った雪で埋めちゃったら、怒って楽屋に引っ込んじゃった。マネジャーには了解もらってたんだけど、本人には事前に伝えたらつまんないから伝えてなかったんです。殴られる覚悟で楽屋に謝りに行ったら、「あんまりムチャすんなよ」の一言でした(苦笑)。
邦子 荻野さんの「ひょうきんベストテン」の選曲のセンスは素晴らしかったですよね。これから、はやるだろうという曲をいち早くつかんでいましたから。
荻野 音楽は好きだったからね。
邦子 (西川)のりおちゃんとか男の人たちは破壊力がすごかった。「西川のりおとフラワーダンシングチーム」と一緒に原宿でゲリラライブをやったら大騒ぎになって。急いでロケバスに乗って撤収しようとしたら浮輪をつけたのりおちゃんが引っかかってドアから入れなくてね。で、置いてっちゃったり(笑)。
ユーミンさんが「今、私が一番出たい音楽番組は『ひょうきん族』」と(荻野)
荻野 ホントおかしかったよね(笑)。ユーミンさんと「オフコース」の小田和正さん、「チューリップ」の財津和夫さんの3人で作った「今だから」を、邦ちゃん、鶴ちゃん(片岡鶴太郎)、松尾伴内で歌ってもらったら、ユーミンが感激して、「邦ちゃんを入れて夜、お酒を飲みたい」と連絡が来たんですよ。「コント赤信号」の渡辺正行やラサール石井、「ヒップアップ」の島崎俊郎、ウガンダとか何人かを連れて飲みました。
邦子 みんな緊張してました。
荻野 そのとき、ユーミンさんが「今、私が一番出たい音楽番組は『ひょうきん族』です」と言ってくれたんです。それでイチかバチか「エンディングテーマ曲を書いてくれませんか」ってお願いしたら書いてくれた。それが名曲「土曜日は大キライ」。ユーミン作詞・作曲で大感激。番組もよりグレードアップしました。
邦子 しかも、私やさんまちゃん、鶴ちゃんを武道館コンサートの2階の真正面の席に招待してくれたんです。
荻野 「ひょうきん族メンバーが来てます!」とスポットライトが当てられたっけ。
邦子 「わ~!!」って歓声があがって、すごい熱気でしたね。私たちはまだ20代でコンサートに行った経験もほとんどないから圧倒されました。
荻野 ステージでも「大好き、ひょうきん族」って言って「土曜日は大キライ」を歌ってくれて、盛り上がりました。
邦子 「オレたちひょうきん族」は、セットにも毎回お金かけてましたね。CGなんてないから、毎回、新しいセットを造っては壊し……。ロケで沖縄に行ったりもしたし。幸せでした。
荻野 パロディーだったら、本家のTBS「ザ・ベストテン」に負けないぐらいのセットにしないとパロディーだということが伝わりにくいし、そして本家に失礼だと考えてましたから。おかげで、制作費の予算は1本2000万円なのに年間で1億円ぐらいの赤字に。それでも、フジが上昇気流に乗った功労番組になったから、局からあまりうるさく言われることはなかったです。
邦子 局の功労者ということでニューヨークに本場の「キャッツ」を見に連れていってもらったこともあります。
荻野 今は制作費も削減されて、当時より20~30%カットの予算ではないでしょうか。厳しいですよね。それでも、YouTubeと比べたらテレビはスケールが違うから、もっと大きなこと、YouTubeではできないことがいっぱいあると思う。
フジテレビは若い人が面白いと思うことをやれるチャンス(邦子)
邦子 また、テレビが見直されて、みんながワクワクして見られる番組ができる気がしますよ。
荻野 番組を作るのは遊び心が大事。面白い人が面白い番組を作るんですから。今はプロデューサーもディレクターも、スタジオの収録が終わったらサッと帰っちゃうらしいけど、もっと街に出て、演者とか面白い人と接しないと。お笑いの連中は層が厚いし、トークもうまい。オードリーの若林なんて、昔のタモリさんみたい。千鳥とか、かまいたち、チョコプラも面白いのにねぇ。
邦子 優秀な人はいる。もったいない。
荻野 作り手が定まった作り方しかしなくなっちゃってるんだね。「ひょうきん族」が成功したのは、始まるときに萩本欽一さんが抱えていた20~30代前半の放送作家集団「パジャマ党」の作家たちをまとめて借りてきたんです。他局の制作陣は40代ぐらいだったから、フジは若かった。当時、僕ら演芸班のディレクターは、その鍛えられた作家らと、若い頭に引っかかったものを、笑いをテーマに何でもやった。それがいいように作用したんじゃないですかね。
邦子 今、フジテレビは50代以上がリストラで抜けて若い人が残ったから、逆に若い人が面白いと思うことをやれるチャンスだと思う。がんばってほしいですね。 (おわり)
▽荻野繁(おぎの・しげる) 1948年、東京生まれ。日本大学芸術学部卒業後、フジテレビ系列の制作子会社「フジポニー」入社。80年、フジテレビに移籍し「笑ってる場合ですよ!」「オレたちひょうきん族」「森田一義アワー 笑っていいとも!」など看板バラエティーを制作した。2008年定年退職し、現在は番組制作および放送作家の育成を手掛けている。㈱おぎの屋 CREATIVE Mix代表取締役。