【追悼】崔洋一監督 井筒和幸氏が明かす“戦友”秘話「骨のある映画屋がいなくなったことは悔しい限り」
27日にぼうこうがんのため亡くなった映画監督の崔洋一さん(享年73)。崔さんとは互いに20代の頃から親交があり、切磋琢磨し「戦友」と語る井筒和幸監督(69)が日刊ゲンダイに、とっておきの秘話を明かしてくれた。
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崔洋一さんとは彼の助監督時代からの仲だ。高橋伴明さんに紹介された時からだろうか。撮影所で「愛のコリーダ」の撮影をしていた崔さんが「いやもう生々しくて大変だった」と語っていたのを覚えている。フランス映画なので邦画の規制ナシ、秘密裏にスタジオ撮影は行われ、ポルノ女優でもない女優に演技をさせる。その後の「わいせつ裁判」は皆が知るところだが、大島渚組のチーフ助監督として、過酷な条件の中で崔さんも突っ走っていた。
■「ガキ帝国」は朝鮮語の字幕、「マークスの山」では死体役にキャスティング
初めて仕事を依頼したのは我が「ガキ帝国」(1981年)だった。朝鮮語の字幕を担当してもらった。朝鮮語がわかる人も知らなかったし、予算もなかったが、あの不良性感度の邦訳をつけられるのは崔さん以外にいなかった。その後、今度は中井貴一主演の「マークスの山」(95年)で、冒頭の死体役にキャスティングしてくれた。当時はディレクターズカンパニーが解散し、何でもかんでも仕事をせざるを得ない状況で、映画製作どころではなかった。崔さんの「映画をイチからやりなよ」という無言のメッセージには勇気づけられ、おかげで「岸和田少年愚連隊」(96年)が出来上がった。戦友・崔さんのエールのおかげだ。