宮沢りえ×貴乃花“スピード婚約&解消”から30年…破局の真相と2人の運命の歯車を振り返る
一方、藤島部屋の後援会関係者は、りえママの過去や芸能界での評判をリサーチ。“一卵性母娘”と呼ばれるほど、りえママがりえを溺愛してことを、藤島親方に「母親は芸能界を引退させる気はない」と報告した。しかし、2人は1カ月後に正式に婚約し、挙式は93年5月28日と発表した。
「ところが年が明けた1月6日に、日刊スポーツが“貴、りえ破局”と報じました。他のメディアは破局報道に疑心暗鬼でしたが、初場所後の1月27日に、2人は別々に婚約解消会見を開いた。りえは『話し合う時間が欲しかった』と語り、芸能界引退の意思は貴花田サイドに伝えてあったが、『(りえママの)了解が得られなかった』と悔しそうに語った。貴花田は『自分の力のなさ』と語ったが、真相は今一つ明らかになりませんでした」(前出のスポーツ紙記者)
■りえママと母・憲子の確執
当時、筆者が取材して掴んだのは、りえママと貴花田の母、憲子との確執だった。
りえママと親しかった大手広告代理店関係者は、「りえママは自宅に遊びに来た貴花田に、酔った勢いで憲子さんの悪口を言う。結果、そのことが憲子さんに伝わって、りえママと揉めた。しかも、りえが“ママ離れ”できなかった。それが破局の原因だと思いますよ」と言う。