北関東男女別学の謎
人生を振り返り最大級の後悔は、高校時代を男子校で過ごしたことだろう。
異性に対して淡い憧れを抱く10代半ばを野郎ばかりで過ごした味気なさ。
私が通った埼玉県の県立高校は男子校だった。不思議なもので、埼玉県、群馬県、栃木県の一部の進学校は男女別学だった。
入学して体育の授業のとき、着替えをどこでするか教室をうろうろしたとき、ああ、もう女子がいないんだから、パンツ一枚になっても関係ないと、知ったときの落胆といったら。
なぜ北関東の一部の進学校だけ男女別学になったのか、それは抗えない南北の壁といった不動の体制だった。
最近になって、高校時代の旧友たちと交流が復活し、教育行政に携わってきた彼らから興味深い男女別学の真相を聞くことができた。
戦後、日本の民主化をGHQが推進したとき、教育は最大の課題とされた。GHQは日本列島を東日本と西日本にわけて米軍の最高指揮官をそれぞれに置いた。いわゆる高校3原則(小学区、総合化、男女共学)の推進を西日本の司令官は忠実におこなったが、東日本の司令官は、日本におまかせだったという。