北関東男女別学の謎
そこで旧来の教育行政に愛着をもっている日本側の旧勢力が占領政策をサボタージュして、男女別学を温存したというのだ。なかでも戦前からの名門男子校の卒業生が県の行政部門を握り、男子校温存の急先鋒だったという。
その一方でこんな見方もある。以前、朝日新聞に、北関東に残る男女別学の謎として、こんな説を紹介していた。男女別学校の分布が養蚕ベルト地帯に集中しているというのだ。繭玉をつくるカイコは桑の葉を食す。戦後日本の最大の輸出品になった絹を産出するため、広大な桑畑を維持し、良質の桑をカイコに与える作業は女子の労働抜きには考えられなかった。学校に行きたくても行けない。そこで教育行政側は、女子を勉学に専心できるように女子校を設置し、安心して学問ができるように配慮した。その結果が男女別学というわけだ。説得力あり。
女子視点で見ると、男女別学の真実にリアルな解釈が生まれる。
男女共学の波が押し寄せるなか、別学を断固として維持しようと、当の男子校、女子校は意気盛んだ。
味気なかった男子校だったが、なぜか思い出は高校時代が一番多い。おっと、私も男女別学派になりかけたか。