元日テレ町亞聖さんがフリーアナとしての活動に加えて「ヤングケアラー問題」に取り組む理由
「介護保険制度ができたのが2000年、国も自治体も支援に動いてはいますが、今なお進学や仕事を諦めてしまう人がいるのも事実です。我々は保険料を支払い、国民年金も医療も介護もすべて自分たちが支えているのに、日本人特有の権利意識の低さ、知識や関心のなさで損をしていると思うのです。申請さえすれば免除される制度があるのに、知らないままでは本当にもったいない。社会福祉は向こうから訪ねてきてはくれないのです」
テレビと新聞がメディアの中心だった時代には自分たちに伝える責務があるという思いでやってきた町さんだが、時代も社会も変化した今、いかに声を上げ、情報を得るかの備えも重要だと話す。
「私自身も人を頼るのはいまだに苦手ですが、だからこそ困った時に助けを求められる『受援力』を身につけてほしいと思うのです」
■中尾ミエさんとの縁は「財産」
さて、「女子アナブーム」全盛期にアナウンサーとして活躍していた町さんに当時のお話を伺うと……。
「私の少し上の世代がいわゆる女子アナブームでしたが、日テレは当時から堅いテレビ局でアナウンス部もすごく厳しい部署で。私が入社する前ですが先輩がスーパーJOCKEYで生着替えをして、波紋を呼びましたけど(笑)、その影響か私たちは水着になるようなことはなく、守られていましたね」