追悼・弘田三枝子さん 愛と歌とスキャンダルに満ちた人生
77年には不倫相手の妻からメッタ刺し
極め付きは、77年1月25日に弘田さんと不倫関係にあったジャズギタリストの妻A子に刺された事件。弘田さんは75年にこのギタリストと知り合い、男女の仲となっていた。妻A子はギタリストとの間に2人の子供がおり、「夫と別れて」と懇願したが、彼女は聞き入れず、2人の恋の炎はますます燃え上がった。
男は77年1月7日に「必ず妻とは離婚する」と話して弘田さんにプロポーズ。その動きを察したA子は、弘田さんの住むマンションの前で待ち伏せ、彼女がタクシーから降りてきたところを背後から果物ナイフで3回にわたりメッタ刺しにした。幸いにも大事には至らず、弘田さんは数日の入院で済んだ。A子は略式裁判で罰金刑に。
その後、弘田さんは芸能界を一時的に引退し渡米。不倫に懲りたはずだったが、アメリカでも妻子持ちの男性と交際し、その男性の子供を身ごもった。しかし結局、それも長くは続かず、娘が生まれてまもなく、男性と別れて帰国。ベテラン芸能記者が語る。
「弘田さんは他にも、ある大病院の院長の愛人説もありました。当時の女性歌手は熱愛よりも圧倒的に“愛人説”が流れることのほうが多かった。それも相手は政財界の大物やヤクザの幹部などばかりでした」
当時の歌手は、テレビの音楽番組に出演するだけでなく、歌のうまさとお色気を武器に、こぞってキャバレーで歌っていた時代。きらびやかな夜の社交場を舞台に、男と女の情念が交錯するのは必然だった。芸能文化評論家の肥留間正明氏はこう話す。
「不倫相手の妻に刺された事件は印象的でした。当時、『不倫』という言い方はまだ定着しておらず、寝取られとか浮気とか言ったものです。セクシーで歌は抜群にうまかったけど、歌、ダイエット、不倫、そして整形疑惑……とスキャンダルも含めて芸能界のど真ん中を駆け抜けた方だと思います」
亡くなる前日までは、普段と変わりなく元気だったという弘田さん。昨年1月に、日刊ゲンダイのインタビューに登場したときは、日本酒が好きで、量は飲めないものの「一人で飲むことはあまりないけど、気づくと自宅の一升瓶がカラになっていたりします」と言い、「今はもう若い頃のようには飲めませんけど、少しの量でも楽しくなるのは同じ。体と相談して、これからもたしなみたいと思います」と笑顔で語っていたのだが。