<8>「闘病」と言わない 病気を受け入れる心境に達していた
生身の佳江さんの叫びにも似た声だ。小宮さんは少し間を置いてから続けた。
「怖かったんでしょうね。あんまりそういうことは言わなかったのですが、がんというもの自体への恐怖ではなく、……なんかその、……終(つい)の棲家(すみか)も見つけていないのに病気になってしまったとか、共働きという形を選ばなかったため、今後の家計がどうなるのかというのもあったろうし、それにやっぱり死への不安も加わったのだと思います。あるノートには『どうしてこんなことになったの。どうしてこんなことになったの』と、ずっとそればかりつづっていた箇所がありました」
とはいえ、最終的には死への恐怖は本人自身にしかわからないものだ。小宮さんは母の定子さん(享年83)も十二指腸のがんで亡くしている。主治医は全摘手術を推奨したが、小宮さんと佳江さんは高齢患者の外科手術がどれだけ体に負担がかかるのかを知っていたし、術後のQOL(生活の質)も考慮し、バイパス手術を勧めた。患者当人の意思は蚊帳の外になり家族で意見が割れていた時、定子さんは「私が痛いところは、私にしか分からないの。どうするかは私が決める」と言ったという。
「最終的には部分切除に決まりました。病気で苦しんでいるのは本人です。『がんばれ』とかあまり言わない方がいいのかもしれません」
小宮さんは納得したかのようにこう呟いた。 =つづく