真山仁さん<1> 縁もゆかりもない東海地方で新聞記者に
1987年に同志社大学を卒業して入ったのが、中部読売新聞(現在の読売新聞中部支社)でした。大学は1年留年しているんです。“現役”のときは就職活動がうまくいかなくて、卒業を延期したんですね。
子供のころから小説家志望で、海外の社会派小説は新聞記者出身の作家が多かった。それ…
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