第1号・村上雅則の11年前…“幻の大リーガー”は完全試合男 MLB選抜チーム監督が《米国に連れて帰りたい》と
佐々木朗、菅野、小笠原……太平洋航海を望む選手の動きは今や年末から新年にかけての“球界歳時記”になっている。
日本人大リーガー第1号は1964年に海を渡ったサンフランシスコ・ジャイアンツの村上雅則(法政二高-南海)であることは広く知られているが、実はその11年前に日米野球で来日したロパット・オールスターズからスカウトされ、その一員として日本相手に登板した18歳の投手がいた。
西村貞朗(さだあき)という。香川・琴平高の投手で、53年に西鉄ライオンズ入り。甲子園出場なしの無名だったが、速球とドロップの本格派右腕。同期の豊田泰光(水戸商高)は夏の甲子園で選手宣誓をした強打者で新人王となったが、西村の1年目は2勝9敗だった。
ところが、西村に思わぬ話が来た。その年の10月の日米野球の第5戦(平和台)に3番手で登板。この投球を見た監督エド・ロパットが惚れ込み、以後、大リーグチームの一員となって同行した。第9戦と第11戦で大物投手を救援して無失点に抑えた。最終戦のあとロパットが「米国に連れて帰りたい」と申し入れたのだが、西鉄の三原脩監督が拒否したため“幻の大リーガー”に。