「ゲゲゲの娘」原口尚子さんに聞いた…水木しげるが望んでいた世界と現実
「戦争反対」を言わなかった理由
──戦時記憶を封印する人が少なくない中、なぜ作品化したのでしょうか。
戦地で亡くなった人たちの思いを伝えたかったからだと思います。みんな生きていたかったし、日本に帰りたかったのに、そこで死ななきゃならなかった。「総員玉砕せよ!」は、彼らの無念を世に出さなくちゃいけないという思いで描いたと、水木のエッセーにあります。実際、どういうふうに描こうだとか、悩んだり苦しんだりしたことはまったくなかったと聞いています。それはやっぱり、戦友たちが自分に描かせているんだというふうに、水木は思ったそうです。
──最近ではロシアによるウクライナ侵攻や、パレスチナ自治区ガザ地区での戦闘など、各地で戦火が広がっています。水木さんが見たらどう思うでしょうか?
「バカだな」っていうふうにしか言わないと思います。ごちゃごちゃ言わず、一喝すると思います。ですが、水木は「戦争反対」を前面に出した作品はあまりないんです。インタビューを受けても、当時あったことを淡々と話すだけなんですよ。記者の人が「じゃあ、戦争は良くないですよね?戦争反対ですよね?」などと聞いても、あえて答えないんです。もちろん、水木は戦争には反対なのですが。
──どういう意図で?
本人に聞くと、「戦争で、自分が経験したすごく嫌だったりつらかったりしたことを伝える。それがどういうものかっていうのは、読んだ人が自分で考えればいい」と言うんです。つまり、最初から結論を示すのではなく、水木が経験したことを想像してほしいということです。「戦争反対」という言葉が先行してしまうと、作品の受け取り方もどこか平板な感じになってしまうと思います。
■若き日の手記に書いた絶望と希望
──戦争を主題にした漫画では、一人一人の兵隊が命を落としていく様子にスポットを当てたシーンが多いですね。
やっぱり水木は、「こうやって亡くなった人たちがたくさんいるんだよ」と、伝えたかったのだと思います。「総員玉砕せよ!」では、兵隊が踊ったり、バカバカしいことをしたり、たわいない話をして笑いあったりするシーンがあります。戦争が起こると、私たちが普段接しているような、ごくごく普通の青年たちが突然亡くなってしまう。「戦争がありました。兵隊が何人いて、何人死にました」っていうような字面だけじゃなく、実際にいた人たちが亡くなったという現実を、想像してほしいということですね。
──水木さんの生誕100年を記念して昨年公開された「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」は、戦後体制がテーマのひとつ。鬼太郎の父が明るい未来への希望を語るシーンが印象的でした。
水木は出征前、どういうふうに自分の気持ちを整理したらいいのか、手記を書いていろいろ考えていたみたいです。宗教や哲学などの本を読んでもいて、戦争という、いわば「死」そのものに向かう自分の気持ちをどう納得させたらいいのかを書いていました。その中に、「画家だろうと哲学者だろうと文学者だろうと労働者だろうと、土色一色にぬられて死場へ送られる時代だ。人を一塊の土くれにする時代だ。こんな所で自己にとどまるのは死よりつらい。だから一切を捨てて時代になってしまうことだ」と書いているんですよ。つまり、時代にのみこまれ、何も考えないで生きていくのが一番幸せ、というふうにその時は考えていたんです。でも、ずっと手記を書いていくうちに「私の心の底には絵が救ってくれるかもしれないという心が常にある」ということも残している。画業に未練があり、納得のいっていない様子がわかります。当時、水木が葛藤していたように、戦時中は自分が何をやりたいかとか、未来のことを何も語れない時代だったのではないかと。だから、漫画家になりたいとか、役者になりたいとか、誰もが思い描く将来について語れる時代。それが水木の望んでいたものなのだと私は思います。
(聞き手=橋本悠太/日刊ゲンダイ)
▽原口尚子(はらぐち・なおこ)1962年、東京都生まれ。故・水木しげるさんの長女。小学校教員を経て、2003年に水木プロダクション入社。代表取締役を務め、20年から現職。