何でもこなす町のクルマ屋の“爆走人生” 転機は昭和の不人気車スカイラインR31
「客のニーズに応じるのが一番」
ラジコンも作りたくなった柴田氏は持ち前の技術でオリジナルラジコンを開発。当時、サーキットに出入りしていた中学生の蕎麦切広大くんの腕を見込み、柴田発のラジコンで日本一最強決定戦に出場してもらうと、いきなり優勝。翌年も連覇する。
「2連覇すると何が起きると思います? 『ずるい、その機体を市販しろ』と言われたんです(笑)。それでその機体をネットで売ったらめちゃめちゃ売れて。一時は市場の半分くらいがうちのラジコンになりました。実際は広大くんの腕が良かったからでしょうね」
この時、柴田氏は広大くんとある約束をしていた。2連覇できたら本物のクルマに乗るレーサーにしてやる、と。その7年後、「広大が『大学卒業しました。約束通り本物のクルマに乗せてください』って来たんです」。
晴れて広大くんは「R31HOUSE」に入社。実車ドリフト競技の「蕎麦切選手」となった。社はレース参戦を始めるが、練習と大会で1本5万円のタイヤを年間500本も消費することが判明。「チャンピオンになる前に破産する」──。こう考えた柴田氏は「ラジコンのタイヤを作れるのだから、クルマのタイヤも作れるはず」と思い立ち、上海タイヤショーへと飛んで地元メーカーと直観的にOEM契約を交わした。
そのタイヤの高性能ぶりが知れ渡り、限定販売したところ「バカ売れ」。「もっとタイムが出るタイヤが欲しい」との声を受けて柴田氏は研究を重ね、2年で新たなタイヤを開発した。そのタイヤをはいたレーサーは各地のレースでコース記録を出していく。
「スタッドレスタイヤも欲しいというので作りました。結局、みんなが欲しいというものを作るのが一番いいですね(笑)」
ニーズに応えられる柔軟さと胆力が柴田氏のエンジン。令和も爆走していく。