創業者がマネロンで逮捕・起訴…20年で業界2番手に拡大した「名校」はどんな集団か
豊原被告は中国の出身で、帰化する前の名は魏大比だった。1981年に福建省で生まれ、17歳で来日。2003年に東京工業大学を卒業した後、東京大学で博士号を取得する。04年に創業し、09年に株式会社名校教育グループ代表取締役社長になった。豊原被告が目をつけたのは、「中国人留学生を相手にした進学ビジネス」だった。
今でこそ高田馬場駅界隈は中国人向けの予備校が林立するが、業界最大手といわれる行知学園(東京・新宿)が市場をリードし、名校はそれを追い2番手まで成長した。名校の生徒数も20年には2000人を超え、難関校への進学者も100人以上の実績を叩き出すようになった。ちなみに名校の生徒はほぼ中国人留学生で、23年度は東大11人、早稲田23人、慶応34人、一橋10人、東工大7人を筆頭に多数の大学合格者を出した(一部重複合格あり)。
環境の変化も名校を後押しした。中国人の所得が上がり、2010年を前後して中国人の来日目的が「出稼ぎ」から、名門大学での「学位取得」にシフトする。予備校としての「名校」はこうした変化の中で発展段階に突入していった。新型コロナウイルスが蔓延する直前の従業員への福利厚生は、海外旅行が定番だったという。
今回の事件について名校は、豊原被告の個人的な行為としている。 (つづく)