「伝串居酒屋 新時代」ファッズ 佐野直史社長(1)18歳でブラジルに渡りプロサッカー選手に
佐野はサンパウロリーグに所属するチームに飛び込んだ。最初は正式契約ではなかった。
「現地では言葉(ポルトガル語)や人種の壁、習慣の違いなどもあり、慣れるまで苦労しました。当時、ブラジルの選手の9割はスラム街出身。13歳から入団テストを受けてプロになって稼ぎ、スラム街を脱出するのが彼らの夢でした。彼らにとって私はライバルで、邪魔者。練習中もボールが回ってこないし、練習が終わってロッカーに戻れば、衣類がゴミ箱に捨てられていました。ある時、イジメの中心的人物から『家に食事に来い』と、メモを渡されました。バスに乗って彼の指定する場所で降りると、そこはスラム街でした」
佐野はバラックのような家に案内された。テーブルには彼の母親が何日もかけて作った料理が所狭しと並べられていた。
「今から30年前、18歳の時のことです。ロースやバラなど値段の高いものはなく、テーブルに並んでいたのは豚の耳や鼻、足などを煮込んだものや、豚の皮をパリパリに揚げたものなどでした。どれも安い食材ですが、手間のかかる家庭料理で、食べきれないほど用意されていました。彼らは私を歓待するために数カ月分のお金をはたいたのです。私はその時、自分が考え違いをしていることに気がつきました。ボールが来ないとか、衣類がゴミ箱に捨てられているとか、泣き言を言っているのは、私の覚悟が足りないからだ、周りの環境に甘えているからだと気がつきました。チームメートは、貧しい家の者が多く、皆、必死で家族のために戦っていたのです。帰り際、彼の家族が全員で『頑張れ!』とガッツポーズで送り出してくれたことは決して忘れません」