キリンビバレッジ 井上一弘社長(1)入社4年目で北海道に飛ばされる
1988年4月に入社して、配属されたのは北千住にある東東京支店。墨田、荒川、江戸川、葛飾、足立を担当する。テリトリーには、漫画「あしたのジョー」に登場する泪橋を名乗る交差点があり、その南側に日雇い労働者の街である山谷が広がる。朝、JR南千住駅のホームでは、ドヤ街から出てきたオヤジたちの脱糞する光景が、日常の一コマとして見られた。街角には赤い回転灯を点灯させたパトカーが、いつも停車していた。
キリンは1972年から85年まで14年間にわたり、シェア(市場占有率)は6割を超えていた。86年も59.9%とほぼ6割。その一方、73年から独禁法によりシェアをさらに上げると、会社が分割されてしまう危機に直面する。営業活動は制限せざるを得なくなり、営業マンが赴くのは卸まで。消費者との接点である酒屋や飲食店には足を運ばなかった。それでもキリンは勝ち続けていた。
ところがだ。キリンの「殿様商売」は瓦解していく。経営危機を迎えていたアサヒビールが87年3月に発売した「スーパードライ」が大ヒット。アサヒはキリンを激しく追い上げていく。