永田鉄山刺殺事件 相沢三郎の日本刀で永田は“即死”だった
![閑院宮参謀長官の使いとして恩賜の果物を携え、上海爆弾事件負傷者の見舞いに向かう陸軍参謀本部第2部長の永田鉄山少将=1932年5月3日、東京駅(日本電報通信社撮影)](https://admin.nikkan-gendai.com/img/article/000/281/061/743fb2d3802bbbf9cd8bc752cf75c36e20201109131845352_262_262.jpg)
昭和陸軍はある時期から平衡感覚を失ってしまった。昭和3年の張作霖爆殺事件を契機として、テロと陰謀をもって自己の主張を通す組織となっていった。そういう状態で日中戦争、そして太平洋戦争に入っていったことになるのだが、一度バランスを保つことができなくなった組織は、際限なく自滅的な行動…
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