日本はソ連が対日戦に踏み切らないよう必死だった
想定のひとつは、日本がこの頃にソ連にいかに媚態を示していたかという点だ。日本はソ連に、この戦争のアメリカ、イギリスとの講和の仲介を依頼していた。正式には、モスクワに特使を送り、仲介をより具体的にしていく方針も決めた。これには天皇の意思も働いていた。昭和20(1945)年7月7日…
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