ポツダム宣言前、賊軍派による対ソ政治工作は拙かった
ソ連を仲介とする案が国策上もひとまず決定したが、そのための具体策は首相、外相の経験者である広田弘毅がソ連の駐日大使のヤコフ・マリクと会って反応を打診することにあった。広田はマリクと外交官仲間ということで、国策の決定以前からしばしば会って、ソ連との間で戦端が開かれないような地なら…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り1,246文字/全文1,386文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】