本田圭佑「虚像と実像」(1) 小4で中学サッカー部に“飛び入り”
■月に一度だけ「休ませて…」
ある日の放課後、恐る恐る兄の中学へ足を運んだ。硬い土のグラウンドでは、自分より一回りも二回りも大きな中学生が、激しい当たりでボールを追っていた。気後れしても不思議ではない。それでも孤独と戦うことを思えば、中学生に吹っ飛ばされるぐらい何でもなかった。
摂津第二中の教諭でサッカー部顧問だった田中章博(現摂津市教育委員会、部活動振興相談員)はこう振り返る。
「弘幸がサッカー部に入ってから間もなくやったかな。放課後になると、グラウンドに体の細い小学生がふらっと現れるようになり、いつの間にか中学生に交じって、3対3とか4対4をやっている。ある日、部員に『あの小学生、誰や?』と聞いたら『弘幸の弟の圭佑です』と。私は当時も今もサッカー好きなら、誰でも来る者拒まずですから。圭佑にも『好きな時に来てええよ』と言ったわけです」
本田は水を得た魚のようだった。体格も知力も勝る相手だろうが関係ない。サッカーのできる喜びに「興奮と爽快感」を覚えた。小学6年で利き足の左足を骨折。ギプスを巻いたまま走り回り、パスを出す姿に中学生も度肝を抜かれた。