中日ドラ1野村亮介を育てた県4強“スパルタ父”の英才教育
「2番目の兄と一緒に毎日夕方の5時から練習しました。例えば夜の10時からトラックを運転し、夜中の3時から朝の8時まで仮眠を取ってから荷物を目的地に運び、夕方には清水に戻ってくる。そうすれば息子たちと練習ができる。睡眠時間は短くても、私が楽しみにしていて、付き合ってもらっていたようなものなんです。でも、場所が九州とかなら、すぐには帰れない。私との練習は休みになるから、2人とも喜んでいました」
子供たちが喜ぶのも無理はなかった。やんちゃな男の子が3人。言うことを聞かなければ、容赦なく浩司さんの“鉄拳”が飛んできた。「昔ながらの人間なんで」と浩司さんが厳しくしつけたおかげで、マウンド上で動じない投手に成長した。しかし、厳しいのはそれだけではなかった。
「客観的に見ても、他の子たちと比べて亮介の実力は抜けていた。だから、特に厳しく接しました。キャッチボールの相手をしていて、構えたところにこなければ捕らないんです。後ろに抜けてしまったボールは亮介が拾いに行く。小学生だから、ふてくされますが、このおかげかは分かりませんが、コントロールは良かった。四球もボール球も少ないので、亮介が投げる試合は早く終わりました」(浩司さん)