ロッテ1位・藤原恭大は規格外 中学野球部“1日でクビ”伝説
最強大阪桐蔭で4番を張った藤原恭大(ロッテ1位・外野手・18歳)は中学時代、野球部を1日で“クビ”になっていた。
母校、豊中第五中学校で野球部顧問だった青木裕教諭(社会科)はこう話す。
「彼は外部のチーム(オール枚方ボーイズ)に入っていて、野球部には入っていませんでした。2年生になったある時、彼の友達が『恭大を呼んできていい?』と言って(中学の)野球部に連れてきた。そこで僕と軽~くキャッチボールをしたら、『バチーン!』と、ものすごい衝撃。球もめちゃくちゃ速い。そんなボールを放ってきて万が一、生徒が目を離して顔に当たったら大変やと。聞いたらMAX138キロは出ていたらしく、『もう少しで140キロやねん』と言っていました。バッティングも規格外で、うちはグラウンドも広くないし、特にライトが狭いので、場外に本塁打ガンガン飛ばされたら終わりやなと思いました(笑い)。すぐに『悪いこと言わん、そのまま外部のチームでやってくれ』と頼みましたね。彼の中学野球部生活は、その1日で終わりです」
部活動の枠に収まらないビッグな素材は父親譲りだ。現在、大阪府豊中市内で建設業を営む父・史成さん(43)は元高校球児。「野球は趣味程度です」と謙遜するが、5年前まで藤原が豊中市立原田小学校時代に所属していた少年少女野球クラブ「園和北フレンズ」で監督を務めていた。