巨人などで活躍した林昌範さん 自動車教習所で奮闘の日々
「セカンドキャリアはマイナスではない」
さて、千葉県船橋市出身の林さんは、小学生の時から野球に没頭。飯山満シーホークスでは「4番でキャプテンでエース。体格も良かったから漠然とプロになれると思っていました。ただ、太っていたので、周りからは『野球がダメだったら相撲に行け』と言われてました(笑い)」。
市立七林中学でも4番でエース。卒業後、3年連続で甲子園に出場していた市立船橋高校に進み、1年時からベンチ入り。エースとして春の大会に臨んだ3年時は足首を骨折して野球を諦めかけたが、「母がいろんな病院を駆けずり回ってくれたおかげ」で県予選にギリギリ間に合い、140キロ台の投球を披露。秋のドラフトで、巨人から“隠し玉”として指名がかかった。
02年から15年間歩んだプロ野球人生で最も印象に残った出来事は、「03年に巨人の一軍に初昇格したこと」と振り返る。
「言っても僕はドラフト7位。1年間、プロの世界に接して『(自分は)厳しいかな』と感じていたところ、V9時代の左腕エースで当時二軍投手コーチだった高橋一三さん(享年69)が、僕を一軍へ推薦してくれた。僕の首根っこをつかんで、二人三脚で練習を見てくれたこの人のために、結果を出したいと思い、マウンドでガムシャラに投げました」
結果、一軍初登板で7回1安打無失点。中日相手にもう一歩でノーヒットノーランという快投を見せ、一軍定着に弾みをつけた。
その後、日ハム、DeNAを渡り歩き、現在はまったく畑違いの自動車学校営業部長。
「人生は一回しかチャンスがありませんし、新しい環境に行くことで、かけがえのない人に出会ったりするかもしれません。野球界でも3チームに入り、いろんな経験をさせてもらいました。だから、セカンドキャリアは決してマイナスではないと思います。挑戦することは、すごくいいことです」
林さんの“第二の人生”は始まったばかりだ。
(取材・文 桜井恒二)