生き証人3人が語る 平成5年「ドーハの悲劇」の真実<前編>
都並「最終予選のメンバー22人に選ばれたわけですが、骨折部分は(レントゲンの画像に)<黒いマジックでスッと書いたような亀裂>が走っていました。どう考えてもプレーできない状態にもかかわらず、メンバーに呼んでくれた上にドーハに向かう前、オフト監督から『オマエの状態はノーマル』と言われて『出番があるかも知れない』と気持ちが切り替わりました。ほとんど<W杯最終予選という名の戦争に出征していく兵士>状態でした。しかし……。僕こそが、ドーハの悲劇を招いた戦犯だと思っています。プレーできないケガ人がいたことで運が逃げてしまった。アメリカW杯本大会出場を逃した原因は、僕自身にあったと思っています」
(後編につづく)
▽つなみ・さとし 1961年8月14日、東京・世田谷区生まれ。読売クラブ/東京V、福岡、平塚(現・湘南)でプレー。98年に現役引退。東京Vコーチ、仙台、C大阪、横浜FCで監督を歴任。今季から関東リーグ1部・ブリオベッカ浦安の監督。日本代表Aマッチ78試合出場2得点。