最後の仕事は「トヨタ」のネームバリューにこだわった
中村は、やはり「上皇・上皇后を応援団にした男」である。
(つづく)
▽なかむら ゆたか 1927年(昭和2年)、大分県別府市生まれ。51年九州大学医学部卒、九大病院整形外科を経て58年国立別府病院整形外科科長。60年英国ストーク・マンデビル病院に留学、64年東京パラリンピック選手団団長、65年社会福祉法人「太陽の家」創設、75年アジアパラリンピック競技大会の前身となる「フェスピック」を大分で開催。81年国際障害者年に大分国際車いすマラソン大会を開催。84年7月肝臓がんで他界、享年57。葬儀委員長はソニー名誉会長の井深大。昭和天皇から正五位勲三等瑞宝章が授与される。また、現・上皇后からお手摘みの生花が祭壇に並べられる。上皇・上皇后のお言葉をはじめ、常陸宮殿下から弔電。参列者約3000人といわれた。