スポーツの本当の強化とは切り捨て「不平等」を決断する力
2000年のウィンブルドンでのことだ。センターコートの記者席と隣り合わせの一般席に、日本人の老夫婦が腰をおろした。逆側から見ていた元国際テニス連盟副会長の川廷栄一氏が「君の隣に座った方がテニス協会の新しい会長です」と教えてくれた。
盛田正明氏はグランドスラムには必ず奥さん同伴で訪れ、奥さんが他界されてからしばらくは姿を見せなかった。ソニー創業者の一人、盛田昭夫氏の弟ということは知られている。
東京工業大を卒業後にソニー(当時は東京通信工業)に入社し、東北大学の研究生として3年間、仙台で過ごした。この頃にテニスにハマった。
ソニー・アメリカのCEOとして渡米した1980年代に知り合ったのがIMGの創業者マーク・マコーマックだ。マコーマックはゴルフのアーノルド・パーマーと同級生だった縁で、弁護士からスポーツビジネスの新分野を確立させた人物。ゴルフからテニスへと事業を発展させ、マコーマックの紹介で盛田氏はジミー・コナーズ、モニカ・セレシュといったトップスターとも昵懇だった。
ウィンブルドンの席もマコーマックの席で、川廷氏は「これから私が席を用意しないと……」と言った。日本テニス協会会長が一企業とのつながりを印象付けるのはまずいという“常識”だ。逆の意味で、それは盛田氏の懸念でもあっただろう。
盛田氏は2000年にテニス協会の会長に就任する以前に、独自の強化構想を描いていた。インターハイ、国体、大学王座を目標にする国内状況から世界の舞台に立つ選手は出ない……どの競技にも言えることだが、国境を超えた世界ツアーに根差すテニスは、学校体育に根を張った日本のスポーツ観から最も離れたところにあるからだ。
畏友マコーマックの協力を得てIMGアカデミーとの連携が具体化し、00年に2人の女子選手を送り出した。会長になった年である。財団法人化が03年で、錦織圭は第4期生。当時は公募制ではなく候補生の一本釣りだったため、候補に外れた関係者から公私混同を指摘する声も出てきた。しかし、それもまた想定内だっただろう。