キング・カズ編<中>のぼせ上って“ツーショット”撮らず後悔
トイレに向かっていたのだろうが、筆者に気付くと立ち止まり、互いに通路に立って文字通りの「立ち話」だ。話題はもちろん、日本の初戦のコートジボワール戦についてだったが、カズがサッカー選手としてのキャリアをスタートさせたブラジルで、それもW杯の期間中に会えたのは、まさに僥倖としか思えなかった。
ツーショット写真を撮らなかったのは、一般のファンではなく、記者という職業意識が働いたからではなく、すっかりのぼせ上がっていたことに加え、当時はまだスマホの自撮りが流行っていなかったからだろう。残念でならない。
■初めて取材したのは90年8月
カズを初めて取材したのは、彼が日本に帰国して読売クラブ(現東京V)の一員となり、1990年8月5日に静岡県浜松市で行われたPJMフューチャーズとの試合だった(第4回PJMカップ)。この試合が、カズの日本でのデビュー戦でもある。
ちなみにフューチャーズというのは1987年に静岡県浜松市に誕生したクラブで、一番下部リーグの静岡県西部3部リーグからスタートすると公式戦91連勝を飾り、1993年にはJFL(Jリーグの下部リーグ)2部まで昇格した。桑原監督(元本田技研監督)は、02年W杯に日本代表選手を送り出すことを目標にクラブを創設。当然Jリーグ入りを目指し、あのディエゴ・マラドーナの獲得にも動いたことで話題を集めたことがある。