2005年福浦和也の激走でロッテは日本シリーズ出場を決めた
近藤昭仁さん、山本功児さんが監督を務めた1997年から2003年の7年間。チームはBクラスが続いたが、多くの若手が主力へと成長した。
最も実績を残した一人が地元・千葉出身であり、ロッテ一筋で26年間プレーした福浦和也である。
習志野高から1993年ドラフト7位で投手として入団した福浦はプロ1年目、二軍打撃コーチだった山本功児さんに打者転向を勧められ、二人三脚で土台づくりに励んでいた。
私は97年から二軍でコーチ業に専念。当時は二軍コーチが交代で寮に泊まり、夜間練習をチェックすることになっていた。福浦は、野手として遅れを取り戻す気持ちもあったのだろう。早出、居残り特打はもちろん、夜も室内練習場で玉の汗をかきながらバットを振った。プロ4年目の97年7月、二軍の秋田遠征中に初めて一軍から声がかかった。山本さんの推薦もあったはずだ。
「明日から一軍へ行ってきます」
「頑張ってこいよ」
突然の招集だったから、緊張していたと思う。翌日は千葉マリンでのデーゲームだった。移動だけでも大変だったはずだけど、7月5日のオリックス戦に「7番一塁」でスタメン出場すると、いきなりプロ初安打をマークした。