新庄は肩の強さに絶対の自信 メッツとの交渉で「捕殺数を出来高に入れて」と訴えた
大慈彌功(元メッツスカウト)#2
新庄のメジャー志向を確認したわたしは、密会場所である六本木のイタリアンレストランに向かった。
交渉に同席したのは彼の親友でヤクルトと阪神でプレーした広沢好輝さんだけだった。
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わたしの顔を潰さないで欲しいと、メッツの上層部に強く頼み込んで引き出したオファーは3年契約ながら、球団が20万ドルでいつでも解雇できる内容。契約金30万ドル、1年目の年俸はメジャー最低保障の20万ドル。保障されているのはわずか7000万円あまりだ。金額の書かれた用紙を見た新庄は当初、ケタがひとつ違っていると思ったそうだ。
それでも選択基準がカネではないと感じていたわたしは、交渉の場に2000年のメッツ外野陣の成績をプリントアウトして持参した。
■比較対象はペレスとアグバヤニ
中でもわたしが新庄に対して強調したのは、主に右翼ペレスと左翼アグバヤニに関してだ。前年に広島を自由契約になり、わたしが獲得を推薦したペレスは、この年24試合に出場して打率.286。出場試合数こそ少なかったものの、後半戦からチームの戦力になり、ワールドシリーズ進出に貢献した。3Aでプレーしていたころから見ていたハワイ出身のアグバヤニは、119試合に出場して打率.289、15本塁打、60打点と気を吐いた。
「外野手としての守備力や走力を含めた総合力では、2人よりもキミの方が上だ。メッツの外野陣に十分、食い込めるだけの力はある」と訴えた。
よりレベルの高いステージで勝負したい。電話で話をした段階で、新庄にはアスリートとしての欲というか、本能のようなものがあると感じていた。メジャーの世界にチャレンジしてみたいのだけれど、それまで成功した日本人野手はひとりもいない。勝負しようにもメジャーという土俵に立てるのかどうか。
カネより何よりそこに不安を感じているのかもしれないと思ったわたしは、比較対象としてペレスとアグバヤニの話をした。
「何らかの出来高払いは考慮しなければ」
話をするうちに、それなら自分もメジャーでやれるかもしれない──。彼の中で未知の世界にチャレンジしてやろうという闘志がみなぎってきているのを感じた。
新庄は中でも肩の強さに自信を持っていた。交渉の過程で、彼は補殺の数を出来高払いにして欲しいと訴えてきた。
メジャーはしかし、インセンティブに個人成績を入れていない。何よりもチームの勝利が優先するからだ。そんな事情を説明したうえで、補殺数は無理でも、何らかの出来高払いは考慮しなければならないと考えた。
交渉の中で新庄の気持ちがメジャー挑戦に傾いていることは感じたものの、何しろ条件が条件だ。阪神の「5年12億円」とは比較にならない。何が何でもメッツでプレーして欲しいとは言えず、その日は「じっくり考えて欲しい」とだけ言って別れた。
新庄から電話がかかってきたのは、それから数日後のことだった。(つづく)
▽大慈彌功(おおじみ・いさお) 1956年、大分県出身。76年ドラフト外の捕手として太平洋クラブ(のちのクラウンライター、西武)に入団。引退後、渡英。ダイエー(現ソフトバンク)、ロッテで通訳を務めたのち、97年からメジャーのスカウトに。メッツ、ドジャース、アストロズ、フィリーズで環太平洋担当部長を歴任。