「5年以内に甲子園へ」と依頼が…星野仙一さんの遺志を継ぎ専大北上高監督に
専大北上は07年に卒業生によるプロからの金銭授受などが発覚して野球部を一時的に解散するなど、06年以来甲子園から遠ざかっていた。最初のオファーが母校の付属高校ということで決断した。江崎さんによると、同校の教員である及川将史監督が部長となり、私が辞めた後は再び監督に復帰する青写真だという。及川監督がまだ30歳ちょっとと若いため、理事長からは「選手だけじゃなくて指導者にも野球を教えて欲しい。部を再建して5年以内に甲子園に行って欲しい」と依頼された。
学校から寮までは自転車で15分。学校から北上川の河川敷にある専用グラウンドまで自転車で20分ほどの距離だった。部員の自転車は雪道を疾走できるようスタッドレスタイヤをはいていた。これが最初のカルチャーショックだった。
■家電付き50平方メートルの新築アパートで生活
私が住むアパートは、グラウンドと寮のちょうど中間地点。50平方メートルほどある新築の広い部屋で、家賃は学校が負担してくれた。雪が多い地域だけに、冬場は外に洗濯物を干せない。浴室乾燥機付きで、寒さ対策としてガラスも二重になっていた。テレビ、冷蔵庫、洗濯機といった家電類も揃えてくれた。