九回裏無死一、二塁のピンチ…終わらない有藤監督の抗議で近鉄は時間とも戦っていた
1分……2分……有藤監督の身ぶり手ぶりの抗議は一向に収まる気配がない。大石さんは私の悪送球を思い切り跳び上がって捕球、着地したところに古川さんがいた。押し出されたというが、どこからどう見ても古川さんは三塁へ行こうとしていた。
私は当初、抗議の輪に入っていたが、長引きそうだと判断したベンチから「阿波野!(投球練習を)やっとけ!」と声がかかり、梨田さんとキャッチボールを始めた。何しろ寒かったから、ベンチも肩肘が冷えてはマズいと思ったのだ。
3分……4分……それでも有藤監督の抗議は終わらない。このころになるとスタンドから「早くやれよ!」とか「アウトだろうが!」といったヤジが飛び、エキサイトしたファンがセンター方向から乱入してきたりもした。
早くやれよと思っていたのは、何より近鉄サイドだった。2試合目の開始時間は18時44分。当時のパ・リーグの規定ではダブルヘッダーの第1試合は九回まで、第2試合は延長十二回まで、ただし4時間を過ぎると新たなイニングに入れなかった。
有藤監督が抗議をしている最中、時計の針は22時15分を回っていた。九回に勝ち越せなかっただけに、あと何回、攻撃できるか。近鉄とすればロッテの攻撃を少しでも早く終わらせたかった。仰木監督はたまらずベンチを出て二塁付近へ。とにかく早く試合を始めてくれと促した。近鉄は時間とも戦っていた。 (つづく)