監視国家のイヌ役に徹したジョン・グッドマン
「囚われた国家」
都知事の「外出自粛」令で前回紹介した「ハリエット」まで公開延期になった。さながら戒厳令の体で、街でも人の影が薄い。まるでSF映画の廃虚を見ているようだが、今週末封切りの「囚われた国家」はまさしくそんなSFだ。
2027年のシカゴ。地球はエイリアンの侵略に敗れ、人類は「統治者」と呼ばれる異星人に監視され、心の中まで飼いならされている。だが少数ながらもレジスタンスの灯は消えず、シカゴ市警特捜部のマリガンは抵抗組織の動向に目を光らせる。
このマリガンを演じるジョン・グッドマンがうまい。太鼓腹と二重アゴが絶妙な「百貫デブ」型のベテラン俳優で、下町のオヤジから頑固な保守派議員までなんでもござれの名人だが、今回は終始にこりともせず、監視国家のイヌに徹する警官を演じている。見るからに人情肌の巨漢だけに、心ならずも監視社会に甘んじる現代人の象徴と感じさせるのである。
実際、現代の監視社会は、高圧的な一望監視で上から抑圧するというより、「これしか選択肢がない」と思わせて人々を規律する。首相が、大統領が、主席が国民を心配するそぶりで強権を振るい、公安措置に踏み切るのだ。
これでフランスでは黄色いベスト運動が沈静化され、アメリカでは大統領選レースが話題にもならず、どこかの国では五輪延期騒ぎの陰に「官邸独裁」の実態が覆い隠される。にもかかわらず、マスク買い占めにあおられて異論を聞く余裕さえ失った民の声があたりを圧するのだ。
カナダの社会学者デイヴィッド・ライアンは90年代から監視社会研究の先鋒に立ってきた学者。新著「監視文化の誕生」(田畑暁生訳 青土社 2600円+税)の副題は「社会に監視される時代から、ひとびとが進んで監視する時代へ」である。監視はもはや「文化」なのか。 (生井英考)