「親父の納棺」柳瀬博一氏
「去年の5月、静岡で87歳の親父が亡くなり、東京から弟と一緒に駆けつけました。実家の和室に横たわる、亡くなったばかりの親父を目の前にして、死んだという実感がちっとも湧いてこなかったんです。コロナ禍で半年以上じかに会えていなかったからかもしれません。遺体は親父の顔をしているけど、親父じゃない。『モノになっちゃった』とよそよそしく感じ、妙に冷めていたんですね。ところが翌日、ある行為によってその感覚ががらりと変わりました」
「ある行為」とは、いわく「納棺師(見習い)」に著者が弟ともどもなったことだ。おっかなびっくり父の体に触れることから始まり、手を握り、服を着替えさせた。微に入り細に入り記した、その体験記である本書は、58歳の著者の父への思いの移ろいに伴走しながら読むことができる。
「納棺師という職業があることは、映画『おくりびと』を見て知っていましたが、実際には納棺師に会ったことがなかったので、僕はイメージすらありませんでした。父の死去翌日、実家にやって来た、葬儀社スタッフのうちの1人が、若い女性納棺師だったんです。彼女に『お父さまのお着替え、お手伝いされませんか』とにこやかに誘われ、とっさに『や、やります、やります』と返答してしまったんですね。コロナでなかったら、実家に親戚が集まってきていたでしょうから、時間軸的にもこの体験は無理。コロナのおかげです」
■予想だにしなかった劇的な心境の変化
納棺師さんのアドバイスで、白装束ではなく、銀行員でおしゃれだった父のお気に入りの服を着せることを選んだ。彼女が指南してくれ、弟と2人で寝巻きを脱がせて着替えさせていくのだが、まず父が着用していた紙オムツを脱がせてからだ。一瞬陰茎が見えて、著者は「最後に親父の陰茎を見たのは、10年前に日帰り温泉に行ったときだったな」と思い出し、父との距離がちょっとだけ縮まったと感じる。続いてアンダーシャツを着せるために手を握る。そのときが、予想だにしなかった劇的な心境の変化の時となる。
「納棺師さんに『お父さんの右手を握ってください』と言われ、正直『え? 親父の手を握るのか』と思いました。でも、躊躇する暇なく、握る羽目になったんですね。親父の手はひんやりとしていて、びっくりしました。けれど、やわらかかった。得体の知れない『死者の手』じゃなく、僕にとってちゃんと親父の手だった。習字と魚をおろすのがうまい手で、小さいときはゲンコツでゴツンとやられた手。いくつもの記憶が走馬灯のように蘇り、ここにいるのはモノじゃなくてヒトだ。というか、僕の親父だ。親父が僕の心の中の家に帰ってきた--と思えたんです」
「遺体をさわる」から「父にふれる」に、自分の主観が変わったと著者は分析。父の手がやわらかかったのは、納棺師さんが直前にマッサージして筋肉をほぐしておいてくれたからとも判明。満足度が高く、兄弟で父を納棺でき、Zoomを使って通夜と葬儀が無事行われる。
本の後半は、養老孟司氏らへのインタビューと、「ケア」という行為についての考察で構成され、親をすでに亡くした人、これから見送ることになる人の両者に読みどころいっぱいだ。
(幻冬舎 1540円)
▽柳瀬博一(やなせ・ひろいち) 1964年生まれ。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授(メディア論)。日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社し「日経ビジネス」記者を経て、書籍編集などを担当。2018年から現職。本書は、話題になった「国道16号線」に次ぐ2冊目の単著。