「日本居酒屋遺産」太田和彦著
これまで訪れてきたお気に入りの居酒屋がさまざまな理由で閉店していくことに危機感が募り、記録の必要性を痛感した著者が、長い歴史を持ち、町の人々に「居」心地のよい、「居」場所を提供してきた各地の「居」酒屋がこれからも続いていくことを願い「居酒屋遺産」と銘打ち、紹介する名店ガイドブック。
居酒屋遺産の条件は「創業が古く(明治から昭和30年ごろまで)昔のままの建物であること」「代々変わらずに居酒屋を続けていること」「老舗であっても庶民の店を守っていること」の3つ。
登場する居酒屋は、著者がこれまで何度も訪れてきた馴染みの店だが、改めて主人から店の歴史を聞き、店内や建物の細部に目を凝らし、案内する。
北海道・旭川市の「独酌三四郎」(写真①)は、創業者の西岡学氏が、昭和21年、ここを目指して来てくれる客を望んで、あえて市内の外れに構えた店。
開店当時、店で出していたのは「もつ焼き」と「焼燗」のみ。焼燗とは、京都で見つけた油差しが気に入り、店名を入れて特注した陶器を直接炭火に乗せてお燗した酒。酒がまろやかになるという。
食べ物がない時代、客はお通しの酢大豆だけで酒を飲み、酒が4本目になると七輪で焼くもつ焼きがサービスで出たという。
学氏が54歳で急逝。17歳で跡を継ぎ、母親と店をつないできた息子の奛氏は、9年後に結婚。当時20歳だった嫁の美子さんは酒が好きで「お酒が飲める」と「走るよう」に嫁いできたそうだ。
奛氏も亡くなり、店は義理の息子の青池聡氏が3代目を務める。もちろん女将として美子さんも店に立っている。
酒や酒肴のメニューは増えたが、文人や相撲取りに愛された店は、創業当時のまま。カウンターの内側の石の竈におこした炭火で名物の鶏やもつが焼かれ、酒が燗される。味噌醤油蔵の廃材を使った手斧削りの梁が横切る天井は声が響きにくい設計となっているそうだ。
カウンター前のベンチ椅子で客を迎える長い座布団や、畳のヘリの意匠など、隅々にまで行き届いた店内は、写真で見ただけで居心地のよさが分かる。
他にも、慶応3年創業の老舗酒屋が母屋の一角で始めた立ち飲みが起源という山形県酒田市の「久村の酒場」をはじめ、宮城県仙台市の路地の行き止まりにあり、江戸後期の穀物蔵を宮大工の手で改築したという隠れ家のような「源氏」(写真②)や、田舎屋敷風ながら、茶室のように洗練され研ぎ澄まされた東京の新宿・神楽坂「伊勢藤」(写真③)など。東日本の15店を紹介(西日本編も刊行予定)。
著者は、良い居酒屋は「その店がずっとその場所に在り続けて欲しいと願う(客の)気持ちとそうした人々のために居心地のいい場所を守り抜こうとする(店の)強い想いが静かに重なり合い、文化は受け継がれ、年輪を刻むように少しずつ店が育っていく」という。
そんな客と店主との言葉のない時間の重ねによってつくられた特別な空間がここには確かにある。
(トゥーヴァージンズ 2200円)