「天狗説話考」久留島元著
「天狗説話考」久留島元著
天狗といえば、東の高尾山の駅構内の巨大な天狗の顔の石像、西の京都・鞍馬駅前の大天狗のモニュメントが知られている。最近では、江戸時代の国学者・平田篤胤が天狗にさらわれた少年に天狗界の様子を聞きとりした「仙境異聞」が脚光を浴びるなど、21世紀の現在でも天狗はしぶとくその存在を誇示している。
では、そもそも天狗とは何なのか、神か、妖怪か。本書は、古代からの天狗にまつわる伝承・伝説を踏まえ、天狗のイメージがどのように変遷したかたどりながら、天狗とは何か、を考察していく。
天狗という言葉はもともと漢語で、天を飛ぶ犬(狗)の意。星の落ちたところに出現する獣を指すこともあり、「日本書紀」でも流れた星を天狗として、その読みは「あまつきつね」と付されている。
これが平安時代になると、仏教の修験者を誘惑して魔道にいざなったり、人に取り憑いたり、害をもたらす「魔」の存在に変化する。そして室町中期以降になると、仏法に奉仕し、守護する存在へとイメージ転換されていく。能の「鞍馬天狗」に登場する牛若丸に兵法を教えた天狗がこれに当たる。
ちなみに、初めて鼻の高い天狗図を描いたのは室町時代の将軍御用絵師・狩野元信で、鼻高、赤ら顔から天狗=漂着した外国人説があるが、それ以前から天狗説話があることからしてこの説は順逆ということになる。そして江戸時代後期になると、山伏や仙翁の格好をして鼻が高い神霊と、鷹のくちばし、鷲の目、両翼があり、人に災いして世の動乱を好む悪魔とに二分していく。
要は、神と妖怪の2つのイメージを併せ持つのが天狗だということになる。
平賀源内が正体不明な髑髏を天狗のものだと鑑定したが、それは変に真偽を議論するより、天狗説話を楽しもうという態度からだという。我々も源内に倣って、今後新たに登場する天狗イメージを楽しむに如くはなし。 〈狸〉
(白澤社 2860円)