ムード歌謡がヒット 歌手・南有二さんは今も現役で活動中
■デビュー翌夏のボーナスは大卒初任給の300倍
さて、広島県尾道市生まれの南さんは、地元高校を卒業後の58年3月に上京。都内の印刷工場で工員をしている時、たまたま知り合ったハワイアンバンドのメンバーに誘われ、アルバイトで音楽活動をスタートした。土曜夕方から翌朝まで都内・上野のナイトクラブのステージに上がるようになった。
「中学時代から学校に内緒で、ダンスホールでクラリネットを吹いてたくらいの腕はあったんです。上京後にスチールギターを覚えたのが役に立ち、そのうちボーカルも任されるようになりました」
当時は高度成長期の真っただ中。お客には成り金社長が多かった。
「彼らはとにかく羽振りがいい。大卒初任給が1万3000円前後の時代に、一晩その店に行くとチップだけで7万円になったこともあったなあ」
迷わず転職。橋幸夫、西郷輝彦とともに“ご三家”と呼ばれた舟木一夫や、浅草、銀座の名門グランドキャバレーの専属バンドを経て、68年にコーラスバンド「ブルーシャンペン」を結成、リーダーとなった。