気さくな人柄で氷室、米米、ブルーハーツら後輩に慕われた
清志郎はみんなに慕われた。
「RCのメンバーは夜中にその日のライブビデオを見るのが日課。それを聞きつけて彼らが清志郎さんの部屋を訪ねてくるんです。少し恐縮しながら『一緒に見てもいいですか~?』と。清志郎さんは『おぉー。入りたまえ』なんて言って迎えてました。爆風スランプのサンプラザ中野は『スローバラード』を口ずさんで、踊ったりして、清志郎さんにウケてましたね。夏フェスは普段のツアーと違って、その時期の独特な密接度があるんですね。例えば、88年8月5日の大阪・南港のロックフェスで、RCはブルーハーツと一緒でした。翌日の広島ピースコンサートでは、タイマーズがブルーハーツと一緒。その翌日の愛媛県津島町(宇和島)のフェスではまたRCがブルーハーツと一緒。もう、この何日間か清志郎さんはブルーハーツと共に移動って感じです(笑い)。仲良くならないわけがない。広島―四国のバスの中はギターを弾いたりお酒も入って、ちょっとした打ち上げ的な感じでしたし、その後もヒロトとマーシーがRCのライブに遊びに来たりしています。米米CLUBのカールスモーキー石井は、ある雑誌に寄せた追悼メッセージで、『清志郎さんは破壊ということが構築する事だと言う事を美しくやり遂げられたインテリジェンスの教祖だ!』と語り、そして『俺たち米米のメンバーは決して、あんたの、楽屋でも変わらない、人柄を忘れません』と締めている。本当にこのとおりだと思いました。清志郎さんはどこでも同じ。人によって態度を変えたりしない人。一言で言うと、感覚的ですが『柔らかい人』です」