“生きる伝説”S-KENインタビュー…パンク老人、かく語りき
日本人は信じこみが足りない
行動力と好奇心で道を切り開いてきた男、S―KEN。強盗に襲われたNYでも、アパートに流れ弾が飛んできたLAでもそのポリシーは変わらない。地元民さえ近づこうとしないスラムに潜入したときも、そのふたつだけを頼りに挑んできた。
齢71にしてその意欲は衰えず、今年は回顧録と2枚組のアルバムに続き、自らが撮った写真展で盟友・細野晴臣とトーク&ライブを繰り広げるなど活動の場を広げている。
「年を重ねると、逆に怖いものがなくなってくる。どうせ何かあったって、あとはパッと死ぬだけなんだから。この間、同い年の細野晴臣さんとも話したんだけど、僕と同じように彼も(忌野)清志郎さんとかたくさんの親友に先立たれて、なんだか自分たちだけ生き残ってしまったような意識があってね。だったら限界までやってやろうぜ、って。だから人生で今が一番ムチャをしているかもしれない」
クラブシーンで次々と斬新なイベントを打ち出していた頃は、帰りが朝の4時、5時になるのが当たり前。徹夜の連続で泥酔し、そのまま寝食を忘れ、ぶっ通しで働くことも珍しくなかった。
「当時を知る人は、よく今まで生きてこられたねって言う(笑い)。これまで大病はしたことがないし、酒だって今も毎日飲んでる。食事は肉は食べずに魚と野菜中心。それにしたって、いつの間にか世間じゃそれが体にいいってことになってるけど、昔から僕はそうだったってだけでね。あえて言うなら、20年くらい前から始めた自転車かな。もし自転車に乗ってなかったら、今ごろ体を壊してたかもしれないね」
今も三軒茶屋の事務所まで往復約2時間、自転車生活を続ける。この20年間、多いときは年間1万キロ以上も走っていたというから尋常ではない。「常識を逸脱したフリークス」こそが時代を変えるという信念を、自ら実証するかのような生きざまだ。
「どうしてこんな生き方ができるのか、日本人からはよく聞かれるけど、みんな信じこみが足りないと思う。アメリカにいるヤツらなんて、意外と下手くそばかりですよ。それこそギター始めて3カ月なんてヤツが、俺は世界一のギタリストだと自信満々、陽気な顔して音楽をやってる。そして、下手なんだけど、どこか新しい感性の息吹みたいなものを感じたロッカーが多かった。日本ではこのところ有名になりたい欲求とカネが欲しいという、金と名誉しか信じられるものがないような状況だけど、いったんそれを捨てないと本当に好きなことなんて見つけられない。ボブ・マーリーのルーツ回帰の世界観を僕は“君のルーツに目を向けろ”って解釈してるけれど、その意味で言えば、僕ら日本人には松尾芭蕉みたいに清貧の人生の中で芸術を極めたすごい先達もいる。あるいは宵越しの金は持たねえ、なんて江戸っ子の刹那的美意識の中からも、北斎や国芳のような世界に衝撃を与えたカルチャーが出てきた。だからね、若い人も中年も、何かのきっかけで自分の信じるものを見つけてほしいと思うよ。明治以前の俺たちのルーツである粋で創造的な魂を蘇らせてさ」
パンク・ニューウエーブの生きる伝説、S―KEN。まだまだ立ち止まる気配はなさそうだ。
▽S―KEN 1947年東京・大森生まれ。71年作曲者としてポーランドの音楽祭に参加。世界を放浪後、音楽雑誌「ライトミュージック」編集スタッフとして働き、75年海外特派員として渡米。帰国後、伝説のパンクムーブメント「TOKYO ROCKERS」を牽引。91年以降は音楽プロデューサーとして活動、プロデュース作品は108タイトルに及ぶ。現在、初の写真展「1977 NYC EXPLOSION」が青山CAYで開催中。最終日の7月29日には細野晴臣氏をゲストに招きトークセッション&ミニライブが行われる。