地元名産を使った母の手作り「ちくわカレー」が料理の原点
「この味が今でもおふくろの味と言うのかな……。豊橋に帰省すると、姉が母と同じ味でカレーを作ってくれる。さすがに、ちくわではありませんが」
運動会などの特別な日に母が作ってくれたちらし寿司の上にも「ちくわ」が居座っていたという。少しでもかさ上げしたかったのだろう。
ただ、松平はちくわは好物のひとつ。地方でさまざまな種類のちくわを食べてきたが、やっぱり豊橋のちくわが一番だという。子供の頃に食べていた味は、やっぱり忘れられないようだ。
このように港に近い町で育った松平は、昔から魚とは縁があった。父親には「魚は頭から食べないと出世しないぞ」とよく叱られていたという。
魚の小骨もしっかり食べたことで、小学生時代は健康優良児とまで言われた丈夫な骨格が形成されたようだ。今も魚は欠かさず、松平の健康の源になっている。
その松平が母について口を開いた。
「岐阜の寒村で小さい頃からずっと働きづめで、学校にもあんまり行ってなかったそうです。あんまりしゃべんなかった女性でしたけど、子供のお守りをして『学校の校門の外から同級生たちが授業を受けている光景をのぞいていたこともあった』なんて話していた。まさしく、夕焼け小焼けの『赤とんぼ』の歌詞の世界です」