書きゃいいのだ。脚本家や作家になりたけりゃ書けばいい
ここが銀座の老舗喫茶店ではなく、はたまたわたしが狂人と思われてもへっちゃらな性格なら、間違いなく「キィー」と猿のように叫びテーブルをひっくり返していた。それほどまでに期待通りの答え。嫌いなアンサーナンバーワン。なぜならわたしが微々たるものだがやっているSNSにも、時々「なりたい人」からダイレクトメッセージが届く。そこで嘘のように共通するのが「感動」という言葉だ。「自分が書いた作品で人々を感動させたいんです!」「感動と勇気を与えたいんです!」――はっきり言う。おおきなお世話だ。読者は読みたいように読むのであり、物を書くという初期衝動に対して、あまり使わないほうがよい言葉だと思う。
かつてわたしは立ち行かぬ生活を長くしていた。ふと古本屋で手に取った一冊の本に救われた。中島らもさんの「今夜、すべてのバーで」という一冊だ。中島らもさんは、感動させるために書いたのではないと思う。それでもその本を読んだわたしは、ふとしたことから物書きになった。35歳の時である。
「目指さなくてもなるときゃなるのが、物書きと渡世人じゃないんですかね」
ちょっと良いこと言ったかも、なんて思っていると数日後Y氏からメールが届いた。その旨21歳の青年に伝えたところ、ライオンさんと連絡を取りたがっているとのこと。ほら、面倒なことになった。
なので明日の連載へつづく。