「だれ場」をどう演じるかが講談師の腕の見せどころ
何事にも展開、流れがあるように講談も展開や流れがある。演者にとっては展開の中で中だるみする「だれ場」をどう演じるかが、観客に楽しんでもらうポイントだ。松鯉師匠はこう語る。
「よくビジネス書で引用される2・6・2の法則があります。例えば営業マンが100人いると、そのうちの2割が売り上げ成績抜群の凄腕。下の2割が成績下位の常連、6割が月給並みの仕事をするというものです。講談の連続ものの場合は、だれがやっても面白い場面が2割、退屈で面白くない『だれ場』が2割、残りの6割はしっかりやれば聞いてもらえる。とくに連続ものには必ず『だれ場』があります。そこをいかに面白くドラマチックにやって聞いてもらうか。
歌舞伎にはこんな例が残っています。『仮名手本忠臣蔵』五段目、山崎街道の場。与市兵衛が娘を売って金を50両もらって帰ってくる山中で、定九郎という悪党に殺され、50両を奪われてしまう……。ここは江戸時代には『弁当幕』と言って弁当を食べて芝居をろくすっぽ見ない『だれ場』でした。
歌舞伎役者の初代中村仲蔵が定九郎役に選ばれた時のこと。『だれ場の役を俺にくれるとはバカにしやがって』と悔しがった。そこで仲蔵は定九郎役を工夫して、だれもが注目するような役につくりあげ、それまでとは違う定九郎を演じるようになった。その結果、この場面がだれ場から見どころに変わり、以後、定九郎役は看板役者がやるようになった。