樹木希林「泥中の蓮」の一生涯 別れない妻たちの希望の星
一般の家庭でも、夫が本宅へほとんど帰ることがなくとも離婚に応じない妻たちもいます。過去にたくさんの恋人がいても、裕也さんは“希林さんの夫”として生涯を終えました。配偶者が亡くなった後にできる死後離婚(姻族関係終了届)の手続きを裕也さんは取っていません。
結婚生活のほとんどが別居であっても、希林さんは自宅で裕也さんの個室を整え、裕也さんが身に着けたお古の下着をまとっていたというエピソードを聞いて“女心のいじらしさ”を感じるか、“執念深さ”と思うか、その受け止め方は人によって大きく分かれるところでしょう。あの飄々とした希林さんの語り口から怨嗟の声を聞くことはありませんでしたが、彼女の人生はあたかも「泥中の蓮」のようです。どれほど夫が浮気し、事件を起こし、混乱した環境に身を置いていても、清く生きる。美しい蓮の花が咲くには、どろどろの汚れた水や泥が必要で、澄みきった真水の中では美しく大きな蓮の花は咲かないといわれています。
日本の覆面アーティスト、ウォルピスカーターさんの「泥中に咲く」の歌詞を思い出し、若い年齢のウォルピスカーターさんが希林さんと似た感覚を歌っていることに気づきます。「別れない妻」たちにとって、希林さんは「希望の星」といえるでしょう。