森田豊さんが明かす「ドクターX」モデルの正体 「テレ朝とアイデアを出し合った」
森田豊さん(医師・医療ジャーナリスト/58歳)
14日から新シリーズがスタートした「ドクターX~外科医・大門未知子~」(テレビ朝日系)。ドラマ立ち上げ時にアイデアを提供し、今も医療監修を務める森田豊さんはテレビのコメンテーターとしてもおなじみだ。秘蔵写真は東京大学助手などを経た後、渡米した30代の頃、ハーバード大学で研究をともにした教授とのスナップ。彼こそが自身にとっての“ドクターX”だったという。
■「白い巨塔」の世界と違って青天の霹靂
1997年からの約2年あまり、ハーバード大学専任講師としてジョナサン.L.ティリー教授の下で働きました。その理由はティリーの研究所は小さくて日本人がいなかったし、何より彼の人間性が素晴らしかったから。
妻と子供を連れて渡米し、「教授、今日からご指導よろしくお願いします」と初日に僕が頭を下げると、彼はこう言いました。
「ノーノーノー! それはダメ。われわれは一緒に働く仲間。ここには上下関係はない。みんなで議論して研究することが大事なんだ。僕をジョンと呼んでくれ」
そして握手をしてくれて。それまで、日本では教授の言うことには絶対服従、教授回診の時は教授の三歩後ろに下がってついていくという「白い巨塔」の中で過ごしてきましたから、まさに青天の霹靂。
さらに驚くことにティリーは僕と同い年。アメリカは年功序列じゃなく実力主義なこともあって30代で教授になっていたところもすごい。
権威を嫌い、スキルだけが武器! 大門未知子そのもの
同僚として接していろいろ教えてくれましたし、彼と作る研究論文は素晴らしいものでした。日本の医学界批判はしたくないけど、自分が論文を書いたり業績を上げても手柄は教授など上司のもの、上司が失敗したら下の僕の責任。僕がいい発見をしても上司のものになっちゃう。そんな世界でしたからね。
彼は権威を嫌うし、束縛もしない。叩き上げのスキルだけが武器。今思えば、僕が後にテレビ朝日とアイデアを出し合ったドクターXの大門未知子そのものでした。
この写真は渡米して2年目にシカゴで開かれた学会で会長賞を受賞した時。手にした盾にはティリーと僕の名前がありました。受賞式が終わって宿泊先のホテルに戻り、ティリーの部屋へ挨拶に。
「あなたのおかげで僕はここまでこられたし、あなたがいなければこんな研究はできなかった。ありがとう」
そうお礼を述べたら彼は「ノー。これは君がやったんだ。僕は手伝っただけだ」と。
僕が「この盾は研究室に置くべきだと思うので……」と言うと、「これは君のものだ。君の業績だ。すべては君の努力の成果だ」と。
そう言われた時、僕は思わず大泣きしました。人生でこんなに泣いたことはなかった。今もはっきり覚えてますけど、医者になってこんなにうれしいことはなかったくらい。
渡米から2年3カ月が過ぎ、僕が帰国する時にハーバード大の教官たちがパーティーをするクラブに20~30人が集い、お別れの会が開かれました。
ティリーが「僕からモリタに一言ある」と挨拶。完成してない論文がたくさんあったので、僕は“ちゃんと完成させろよ”と、日本の教授なら言うであろう挨拶を予想していたら、「ファミリー・ファースト」と話し始めた。
「モリタは研究に没頭しすぎるが、家族でもっと楽しまないとダメ。家族や親類に愛されて、初めて仕事に力が入るんだ」
ビックリしましたよ。日本の上司なら「家族第一」なんて絶対言わないですから。
日本のような年功序列ではなく、実力主義で優秀な人は認められる。そういうアメリカの効率主義と、ティリー教授の人柄や仕事ぶりは、ドクターXに通じるものがあると思います。
帰国後はティリーが来日した際に僕が東京を案内したり、交流もあり、その後は年賀状のやりとりなどを続けてました。今は別の大学に移られたと聞いてます。
シーズン5のノベライズも
「ドクターX」シーズン7は始まりはパンデミックがテーマでしたから、注目されましたね。今回はとくに最先端の医療がさまざまに登場するリアルな作りになっています。
先月末にシーズン5が発売されたノベライズでも、ライターがドラマを活字化したものの医療監修を継続してやっています。ドラマではほぼ映像だけで見せている手術シーンを、医学的に正確に推敲するのは大変ですが、活字ならではの迫力があると思います。読むのも見るのも楽しめますよ。
(聞き手=松野大介)
▽森田豊(もりた・ゆたか)1963年、東京都生まれ。医師として従事しつつ、「ドクターX」シリーズの医療監修やニュースコメンテーターとして活躍。医療監修を務める「Doctor-X 外科医・大門未知子V」(宝島社文庫)発売中。